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by mayumiish

土門拳「写真随筆」


先日、ふと立ち寄った古書市で、面白そうな本を見つけて買いました。

「写真随筆」土門拳著。

1909年(明治42年)生まれの写真家、土門拳が1950~70年代頃に書いた随筆や座談会、講演の内容がまとめられた本です。さっそく読んでいますが、とても面白い。写真に対する彼の哲学や姿勢、技術論などがストレートに書かれていて、だいぶ昔に書かれたものなのに、デジタル写真が主流の今の時代にも通じる普遍性を感じます。

シャッタースピードについて具体的に提案したり、ほかの写真家と意見交換をしたり、写真集「生きているヒロシマ」を撮影した時のこだわりや思いを語る文章からは、戦後10年あまりの当時ならではの生々しさもうかがえます。また、ユーモラスな紀行文もあり、カジュアルなエッセイから固い話まで幅広く、とても読みごたえがあります。

「なぜそんなに沢山撮るのか」という章では、一般の人から来た手紙の質問に答えています。まずは露出などの技術的な理由。それから「職業写真家のフォトジェニック・ビジョンの豊富さということである」と。ある一つのモチーフからどんな写真が撮れるか、シャッターを切っただけで直感的に目に浮かぶ。それで右から左から斜めからとアングルを変え、レンズを変え、被写体が持つ限りのフォトジェニックな可能性が浮かんでくるので、最大限に引き出すのだと。うんうん、と同感しながら読みました。決してやみくもに撮っているわけではないのです。

そして、結局はいい写真を撮る事が目的で、いい写真とは、「モチーフの客観的な表象のなかに、さまざまの二義的な、末梢的な、偶然的な要素と入りまじって、全体としてはきわめてあいまいだが、しかもなお厳として存在する一義的な、本質的な、必然的な要素、つまりモチーフの中の『典型的なもの』をカメラ・メカニズムを通して積極的に、普遍的に形象化したものである」と書いている。典型的なものというか、やはり本質的なもの?

土門拳がたくさん撮影する人とは知りませんでしたが、私が言葉じゃなく感覚的な形で思っていることが言語で表現されている感じがして、なんだか共感と親しみ(?)を覚えました。日本人の写真家では濱谷浩も好きなのですが、彼も自伝的な著書「潜像残像」を出しています。この本も面白く、良い写真家は文章も上手いのかな?

「写真随筆」には土門拳の若い頃の話などもあり、「紺屋の白袴」というエッセイでは、新婚旅行に行くお金がないので、取材旅行を兼ねて九州に行ったところ、取材の撮影に集中しすぎて自分たちの記念写真を一枚も撮らなかった(ありがち 笑)話とか、また、事故のスクープ写真を撮ることについての考えなど、人間としての土門拳もうかがえる本です。

土門拳が選んだ世界の写真家ベストテンもありました。ちなみに彼にとっての第1位は、エドワード・シュタイケンだそうです。

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by mayumiish | 2013-01-08 01:10 | Photography | Comments(0)